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松山家庭裁判所 昭和63年(少ハ)1号 決定

少年 U・I(昭43.9.6生)

主文

本人を平成元年9月5日まで中等少年院に継続して収容する。

理由

(申請の要旨)

少年は、昭和63年3月7日松山家庭裁判所において、窃盗、有印私文書偽造・同行使・詐欺保護事件により、中等少年院送致の決定を受け、昭和63年3月9日当院に収容され、昭和63年8月16日少年院法第11条第1項ただし書きによる収容継続の決定をしたものであるが、平成元年3月6日をもって同決定による収容期間が満了する。

少年は、現在処遇段階一級下であるが、平成元年1月18日から平成元年4月24日までの間、開講される人吉農芸学院建設機械運転科訓練課程の受講を強く希望し、将来は建設関係の仕事に従事したいと更生への意欲を示している。また、出院後の帰住予定地として更生保護会以外にはない状況にあることから前記課程受講の期間及び仮退院の保護観察による指導援助に必要な期間を考慮して、平成元年9月5日まで(6ヵ月間)の収容継続を求める。

(当裁判所の判断)

少年の収容期間は、平成元年3月6日までであるが、少年は、平成元年1月18日から同年4月24日までの間に開講される人吉農芸学院建設機械運転科訓練課程の受請を希望しており、これを受講させるためには、収容継続が必要である。

ところで、少年は、暴力団との関わりを持ち、文身までいれており、無職状態の下での再三にわたる窃盗非行によって中等少年院に送致されるに至ったものであり、保護者の指導力も弱いことから、社会に出た後の不安も大きい。したがって、少年が今後更生の道を歩むためにはまずもって健全で安定した就労を実現する必要があるところ、少年の資質、経歴を考えた場合、何らかの特殊技能を身に付けずに安定した就労を実現することには相当の困難が予想される。このように考えると、上記訓練課程を受講させ、建設機械の運転という特殊技能を身に付けさせることは、少年に適性ある職業選択を可能にし、少年の更生の可能性を拡大するものと言うべきであり、逆に、少年の犯罪的傾向に照らした場合、上記訓練受講という選択肢があり、かつ少年自身もその受講を強く希望しているという状況の下においては、上記訓練を受講する機会を与えて、始めて少年の犯罪的傾向を矯正するに足りる教育をしたものというべきである。また、少年は、現少年院に収容されて10か月余りになるが、規律違反等のため未だ1級下の段階にあり、生活指導面においてなすべき教育は残っている。しかも、社会に復帰させるにあたっては、保護環境に対する考慮から、少年の帰住先としては更生保護会が予定されているところ、更生保護会へ帰住させるためには仮退院の段階になければならず(犯罪者予防更生法33条1項2号、40条1項、更生緊急保護法6条2項)、さらに、社会復帰をスムーズに行うためには、仮退院の期間もある程度必要であるという事情も存する。

以上の事情を総合した場合、本人に対し収容を継続すべきであり、その収容継続の期間は6か月間とするのが相当である。

よって、少年院法11条4項、少年審判規則55条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 廣谷章雄)

〔参考1〕収容継続申請書

四少発第1410号

昭和63年12月14日

松山家庭裁判所長 古市清殿

四国少年院長 ○○

収容継続の申請について

氏名 U・I

生年月日 昭和43年9月6日

少年は、昭和63年3月7日松山家庭裁判所において、窃盗、有印私文書偽造・同行使許欺保護事件により、中等少年院送致の決定を受け、昭和63年3月9日当院に収容され、昭和63年8月16日少年院法第11条第1項ただし書きによる収容継続の決定をしたものであるが、昭和64年3月6日をもって同決定による収容期間が満了する。

少年は、現在処遇段階一級下であるが、昭和64年1月18日から昭和64年4月24日までの間、開講される人吉農芸学院建設機械運転科訓練課程の受講を強く希望し、将来は建設関係の仕事に従事したいと更生への意欲を示している。また、出院後の帰住予定地として更生保護会以外にはない状況にあることから前記課程受講の期間及び仮退院の保護観察による指導援助に必要な期間を考慮して、昭和64年9月5日まで(6ヵ月間)の収容継続を申請します。

1 処遇経過

(1) 昭和63年3月9日 四国少年院入院新入時教育過程編入

入院当初、指示や指導に対して一応素直に従っていたが、表面的なものであり、行動は、節度に欠け、再三注意や助言を受けていた。

昭和63年4月28日 逃走企図により、謹慎15日一階級降級(三級)の処分を受ける。

昭和63年5月13日 謹慎解除昼夜間単独処遇

昭和63年5月19日 二級下復級

昭和63年6月8日  二級上進級中間期教育前期過程編入

自分の軽率な言動から重大な規律違反(逃走企図)を惹起したことについて、謙虚な態度で反省をしていた。また、客観的な立場で自分をみつめようとする姿勢もみられるようになった。一方、反社会的集団に所属していたことについて、教官の面接や集会活動を通して、冷静に振り返る機会を与えられ、ヤクザは社会悪であり、その存在を否定する発言もできるようになった。

昭和63年9月1日  一級下進級中間期教育後期過程編入

昭和63年9月6日  人吉農芸学院建設機械運転科訓練生の選考審査に漏れ、気落ちした態度が見受けられたが、気を取り直し、安定した寮内生活を送るとともに実習場面でも意欲的に取り組むようになった。

昭和63年11月7日 暴行、いやがらせにより謹慎7日の処分を受ける。

(2) 入院当初はかなり緊張感を保持していたが、慣れるにしたがって付和雷同的な行動傾向がみられるようになり、昭和63年4月24日頃、第三学寮内において、他の三名の少年と逃走を企図したが未遂に終り、謹慎15日一階級降級の処分を受けた。謹慎後は安易な考えで生活をしていたことに気が付きはじめ、自重した生活を心掛けるとともに自分の将来について視点が向くようになり、建設機械の資格を取得し、健全な社会生活を送りたいと申し出るようになった。しかし、受講選考審査で不合格になり、一時的に落胆の色もみせ、そのため生活全般に意欲が衰退し、昭和63年11月7日暴行等により謹慎処分を受けた。その後は、自分の将来に目を向け生活全般に意欲を取り戻し、再度、建設機械運転科の受講を強く希望するなど前向きの生活経過を辿っている。

2 収容継続を必要とする理由

少年は、非嫡出子であり、実父母の葛藤の中で乳児期を過ごし、幼児期以後も母に連れられ転々とし、母親が夜間働きに出る間、預けられるなど被愛体験の乏しい少年である。保護者は指導力もなく、少年の予後に期待がもてないため、昭和63年6月25日帰住予定地を、愛媛県松山市○○町××番地、財団法人○○更生保護会へ併行調整を行った結果、昭和63年7月29日受入可能との環境調整報告書を受理した。少年は、両腕、胸部に生首2個の文身があり、入墨を入れたことを深く悔やんでいる。そのため、社会復帰後の職業生活に不安感を募らせており、もし建設機械の免許が取得できれば、建設関係の職業に就き自立更生したいと強く願っていること。及び独立自活の精神の涵養と、本人が新しい環境に慣れ、好ましい対人関係を保ち、新しい職場に適応するまでには、どうしても周囲の理解ある根気強い指導が必要である。そのため収容継続の措置により保護観察期間を確保し、更生保護会職員による、きめ細かい指導援助の体制を準備しておくことが必要であると思われる。

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